認知症の家族への対応について
あきらめる
ことの必要性と大切さを
諦める
という言葉が持つ(…と勝手に感じていた)
敗北感のようなものが
なんとなく受け入れがたく、
受け容れられないけど、受け止める、かな。。。
と、介護に向かう考え方にふさわしい言葉を
探していたが、
どうもしっくりする言葉がなかった。
諦める、という言葉は
昔は「明らむ」で、文字通り「明らかにする」
という意味で、「諦める」という意味はなかった、
とする辞典が多いが、
言葉が同じであるかぎり何か関係があるのでは、
とこっちの説明にもしっくりいかず、
ちょっと気持ちが悪かったのだが、
作家の盛田隆二さんのお父様(お母様、妹さん)
に対する介護日誌『父よ』を読んで、
きみがつらいのはまだあきらめていないから
という文章を読んで、
そうだよなーと共感し、
改めて、「諦める」をググってみると、
日本文学者の中西進さんの
次のような「諦める」の説明に出逢った。
あきらめる」、古語の「あきらむ」は物事を明らかにするという意味である。物事を十分に追求し、底の底まですっかり明らかに見通した上で、もうこれ以上期待しても可能性がないと判断することが「あきらむ」であった。
うーーーん、すごくしっくりきた‼️
物事を十分に追求して、底の底まで明らかに見通した上で、
それまで抱いていた期待を転換させよう(*^^*)
でも、まだ頭で納得できたレベルだというところが
ミソですけど。。。(^^;;
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