昨晩帰ると
いくら呼んでも母の返事がなくて
母の部屋に行くと
母が椅子に座って
下を向いて涙ぐんでいた。
自分が情けなくて、と言う。
亡くなった人に呼ばれ、
不思議な気持ちになったと言う。

あとで父に聞くと、
今日は、炊飯器でのご飯の炊き方がわからなかったり
おかしなこと、失敗することが多かったという。

母もいつも強く振舞っているが、
自分がだんだんいろんなことができなくなってきていて、
それは身体上のことだけでなく、
頭のほうまでそれが来ているということに
気がついていて、
そのことに対して、深い喪失感を
感じ出しているのだと思う。

私が怖れていたこと
できたらできるだけ来ないでほしいと思っていたことが
来る時期になったのだと思う。

以前の私なら、
慰めたり、他に気をそらさせたりしただろうけど、
先日学んだバリデーションの「共感すること」
「ただ寄り添うこと」を実践してみた。

(亡くなった人が現れるはずなんてないやん)ではなく、
「そっか仏さまが出て来てくださったんだね」
「いつもお祈りしているからだね」
「私たち家族のためにいつも祈ってくれてありがとう」
「どうして情けなくなっちゃったんだろうね」
「いつも私たちのために一生懸命やってくれて
感謝しているよ」
などと。。。

母には見えるもの、感じることを
否定せず、そのまま私も見て、感じるようにした。

すると、母はホッとした表情になり、
その後、
「この絵、真理子の上げたい、お世話になったひとに
あげたらいいよ」と母が日本画をやっていた頃に
何百枚と描いた絵の中から
一枚の色紙絵を私の部屋まで持って来てくれた。
日本画

母が日本画を描いていたときは、
お正月には色紙絵を
夏にはセンスを
父も私もお世話になったかたがたに差し上げることも多く
喜んでいただいたものだ。

認知症になってから
母は絵は描けなくなり、
でも、絵を見ては、いつも
「どの絵がいい?描くから言ってね。
真理子の上げたい人がいたら、
恥ずかしくない絵をちゃんと描くからね」
と言う。

でも、実際には描けなくて、
でも、私には言えなくて、
仏壇に、「忠兄さん(戦争中に亡くなった母の兄)、
どうか絵を描かせてください。満佐子(母の名)は
バカになってしまいました」と書いた手紙が
最近は毎日のように置いてある。

それを見るたびに
私も哀しい。

母が持って来てくれた色紙絵は
日が経っているため、変色しており、
昔の母なら、そんな絵、人さまに
差し上げるなんてとんでもない!
といったところだったが、
今の母にはそういう判断もできないんだろな。。。

「お母さん、ありがとう。
大学の部屋にほしいから、飾っておいていい?
それを見た人が、ほしい、と言いはったら、
また描いてね」

母は嬉しそうに笑う。

半分嘘、でも、半分は本当。。。
お母さん、ごめんね。でも、研究室に飾る(*^^*)

バリデーションは、
怒りや悲しみ、という一見負の感情にも
蓋をしない。
その気持ちは認知症のひとでなくても
誰にでもあるもので
きちんと表現して、外に出すことがたいせつだという
考え方。

言われてみれば、あたりまえのことなんだけど、
私にとっては目からウロコだったf^_^;

哀しい気持ちや不安な気持ちを
自分の中にため込んでいるお年寄りは多いんじゃないかな

今のお年寄りは戦争も体験しているし、
想像以上に頑張り屋さんだから
自分ひとりで頑張っているひとが多いと思う。

もちろん自分の人生は自分で受け入れなければ
ならないのだろうけど、
ちょっと外からサポートしてもらったら、
サポートが嫌でも、自分ひとりじゃないと思ってもらえたら、
その哀しみや不安が減るんじゃないかな。。。

そういう考え方は傲慢なのかもしれないけど、
それを実感するまでは
私は孤独に闘っている高齢者に対して
おせっかいにも
何かしたいと思ってます。

何ができるのかもまだわからないけど、
何かはしないといけない、というか、
何かしたい❣️ という気持ちだけは
明らかにある、強くあるので
進んでいこうと思っています。

みなさん、これからもお力を貸してくださーいm(_ _)m💕

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