(昔、「パパと呼ばないで」ってドラマありましたね( ̄▽ ̄;))
の投稿には、想定外の反響があり、
恐縮しておりますm(_ _)m
あまり自分の考えもまとまっていない段階で
また言葉足らずの文章で書いてしまったため、
申し訳ありませんでしたm(_ _)m
そのおかげで
どうして自分は「先生」と呼ばれるのが
苦痛なんだろう。
さらには、
「先生」と呼ばれても(学生、大学関係者以外で)
嫌じゃないひとも確かにいるけど
それが嫌じゃなくて、心地よくさえある
のはどうしてなんだろう。
と、考えてみた時、
やはり「関係性」に尽きるんやなー
と思いました。
橋本先生が書かれたように、
(特に関西では)「先生」が愛情のある呼称
として使われたり、
平井さんが書かれているように
「固有名詞」になってしまっていたり、
これらはすべて
「関係性」ができている、ということが前提にある
から成り立っているのだと。。。
ですので、私が「先生」と呼ばれて
なぜかしんどくなったのは、
関係性がないのに「先生」と呼ばれ、
これは全く私の勝手なのですが
(「先生」と呼ばれるひとが全部こうではなく、
おそらく超少数派( ̄▽ ̄;))
「先生」と呼ばれるとこれまでの習慣で
(『先生』と呼ばれたら、この人に責任を持って
『先生』として対応しなくてはならない❗️)
というストレスがかかってしまい、
勘弁してよー。無理ー(T_T)
ってなって、勝手にしんどくなってたのだと
いうことがわかりました。
ただ、
「先生と呼んでいただくほど(一般的には先生は偉いけど)
(私は)大したものではありません」
というのとはちょっと違って、
私は、大学の先生が特別偉いとはまったく思っていませんが、
大したことないとも思っていません。
何であろうが、なかろうが、
そのひとは大したことあるし。。。
「先生」と呼ばれる人は
「先生」と呼ぶ人たちには「先生」として
大したことなきゃあかんし、
「社長」と呼ばれる人は
「社長」と呼んでくれる社員や取引先の人たちには
「社長」として大したことなきゃアカン。
これは、「お父さん」や「お母さん」が、
子どもにとって、責任があるのも
同じで。。。
「先生」「社長」「お父さん」「お母さん」などという
「役割」を表す言葉で呼ばれるひとには
「責任」が伴い、
そのことにおいては大したことなきゃアカン立場に
置かれているのだと思います。
ですので、
大学の先生ですが、(私は)たいしたことないので
「先生」なんて呼ばないでください
というのとも私の場合は違うんです。
なんか偉そうにウンチク垂れて
すみませんm(_ _)m
読んでくださっているみなさんには
巻き込まれてご迷惑な話ですがm(_ _)m
おかげさまで、私はスッキリさせていただきましたm(_ _)m💕
学生たちに「先生」と呼んでもらうに
恥ずかしくない「先生」になれるよう
もっともっと精進しなきゃ、
ということにまとまりました( ̄▽ ̄;)
これがきちんとできていたら、
他の誰に先生と呼ばれようとも
こんなに気にしなくてよかったんですよねー( ̄▽ ̄;)
申し訳ありません‼️

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