母との関係はいつの頃からかずっとしんどくて
大学を卒業したら、やっと家が出られるということで
「まだ大学生でいたーい」という周りの友だち
とは異なり、私は卒業が待ち遠しかった。
あの頃は、母のいいところなんて全然見えてなかったし、
全然感謝の気持ちもなかった。
ずっと恨みのような気持ちがどこかに残っていて
ひっかかっていた。
でも、小さい頃からそうであったように
絶対的な、強い存在であった母に対しては
大きな反抗はできなくて
わだかまりは解決しないまま心の奥底に隠していた。
ちゃんと話し合って解決したほうがいいよ、
と言われた時には
もうすでには母は認知症になっており、
話し合って解決するのは無理…というか、
こんな状況の母に過去のことを蒸し返すのは酷で
ひととしてできない、と思った。
韓国に行ったのも
母からの、家からの逃避だったのかもしれない。
1992年韓国に短期語学留学した時、
戦後初めて日本の首相が訪韓することになり、
反日感情はピークに達していた。
そんな中でも、父も母も、私が韓国に行きたいと
言ったら行かせてくれた。
東京で就職したいと言った時も、
親戚の多くが「大阪で就職したらいいのに」という中、
母は「女性も男性のように東京で頑張らなきゃあかん」と
応援して送り出してくれた。
母は(父もだけど)
私がチャレンジしようとすることを
必ずさせてくれた。
お母さんができないことを真理子はやってくれてるからね
そういう思いだったのだ。
母は私と違って、小さい頃から神童で
なんでもできたのに家の事情で中学までしか行けなかった。
どうして気づかなかったんだろう。
お母さんにもいいとこいっぱいあるやん。
感謝しなあかんとこいっぱいあるやん。
認知症が進むにつれ、
母をどうしてあんなに恨んでいたのか
自分も忘れてきそうになる( ̄▽ ̄;)
もしかしたら、
母親と子としての関係が
変わってきたからなのかな。。。
もう昔の母ではないと思えるように
なったからかもしれない。
恨みがなくなってきて、
こころは楽になったように思えるが、
その代わりに深い寂しさがやってきてしまったようだ。

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