認知症のひと
中核症状はみな共通に見られるものだけど、
幻覚妄想、不眠、抑うつ、不安、焦燥などの精神症状や
徘徊、収集癖、攻撃性、便いじりなどの行動障害
といった、周辺症状は、
中核症状に心理的、状況的要因が加わって
二次的に生まれるものなので、
必ずしも認知症の人みなに共通して見られるものではないという。
そして、周辺症状が出やすいひとの特徴として、
波乱万丈な人生を乗り切ってきた人
筆者の言葉では
「面倒見はよいが、面倒見見られが下手な人」
だという。
つまり、これまで大変な困難を自分の力で
ひとりで頑張って乗り越えてきたので
「助けて」なんてとても言えない人だろう。
うちの母もそう。。。
めちゃくちゃ苦労している。
祖母と2人で疎開先で知り合いの家に居候し
(祖母の両親は早くに亡くなったため)
島根県浜田市の漁業のまちで
居候先の人はお魚を食べていても
母と祖母は食べたこともなく
小さな時からこえたご担いで畑を耕し
芋のつるとかも食べていたらしい。
中学校で1番勉強ができて
勉強が大好きだったのに
高校に進学させてもらえなかった。
でも、全然それを恨んだり、残念がったりしてないところが
驚きだ。
終戦後、父親のいる大阪に戻って、
父親がやっている紳士服の仕立て屋の仕事を手伝ったり、
芦屋のお金持ちのおうちの住み込みお手伝いさんをしたり
しながらも仕事後、現在の大阪府立図書館に通って
勉強し、国家公務員の何とかいう試験に
女性で初めて受かって、新聞にも載ったらしい。。(>_<)
一度落ちたのは、
時計を持っておらず、時間がわからなかったからだそうで
そのことを知って
祖母がなけなしのお金をはたいて腕時計を買ってくれたらしい。
祖父は自分の仕事をさせたいがために
母が勉強するのを邪魔していたようだ。
そんな頑張り屋の母だから
努力すればできてきたことが
できなくなってきて
そのギャップに耐えられなくて
最初は暴言やうつがひどかったのだろう。
でも、そんな母が変わったのは
デイサービスのおかげが大きい。
デイサービスでは、
「助けて」と言ってもいい雰囲気があったのだろう。
さすがプロだとスタッフのかたがたを尊敬する。
母はデイサービスでお手伝いするのが目的、生きがい。
昼食の配膳が母の仕事の一つらしいけど、
認知症が進むにつれて、
教えてもらったことを忘れるので、
並べ方がわからなくなるらしい。
これが家だったら。。。
聞くということは、自分ができないということを
家族に知られることで、
そんなことはプライドが許さないので
わからないままやって、案の定間違える、
すると、父か私が、そうじゃない、と言う
その結果、母が逆ギレし、暴言を吐く。。。
という、最悪のパターン。
でも、デイサービスでは、
聞きやすい雰囲気だし、
自分の生きがい、役割をきちんと務めたいから
スタッフに聞く
役割があるから、その役割を守るために。。。
すると、失敗はない
周りに感謝もしてもらえ、
本人の大事な役割、結果としてプライドは保たれ、
さらには効用感(役に立ったという気持ち)で
満たされる
と、家とは全く反対の最高のパターン✨
ここからが驚きなんだけど、
家でも聞くようになったのだ。
これは、デイサービスの施設長さんも
ビックリしていたほどだから、
珍しいだったのかもしれないけど
認知症って深いです(^^;;
認知症になっても、
ひとって悪い方向に変わるとはかぎらず
いい方向に変わることもいっぱいあるんですね。。。
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